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江戸小紋の世界 今回は表参道にある、ギャラリー、EYES OF GYREで開催されている、”亜空間として 形成する 伊勢型紙・江戸小紋の世界" 〜廣瀬染工場創業百周年記念〜を訪れました。建築家の長坂常さんと廣瀬染工場4代目の廣瀬雄一さんのコラボレーションされた空間。 まずは、江戸小紋の予備知識から。室町時代後期にもともと武士の礼装である、裃 (かみしも) から発達したもので、その後、参勤交代で江戸に集まる各藩の武士たちが、他所の藩との区別を象徴するために、特定の柄を定めていました。 江戸初期には、大きめの柄もあったそうですが、小紋を武士の公服にしたために、お互い競って細かい柄を求めるようになって、微細な柄が生み出されていったそうです。 小紋は格式が高く、一般庶民の着物の柄ではありませんでしたが、歌舞伎役者たちが好んで取り入れたこともあり、江戸中期から、庶民感覚の柄も登場し始めます。 しかし、その後、奢侈(しゃし)禁止令の発令によって、贅沢品だけでなく大きな柄も禁止され、より細かい柄が求められて、職人たちの技はそんな閉ざされた中で限界への挑戦に


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花火 東京ではお盆を迎え、夏祭りや花火大会が増えて来て、いよいよ夏本番です。今回は花火大会の歴史について書いてみようと思います。 歴史を振り返ると、火薬が生まれた中国漢代(202〜225年)まで遡ることに。火薬製造の基本となる硝石の発見に始まりそれを利用した狼煙(のろし)が花火のルーツとされています。通信手段として万里の長城で使われ始め、北宋時代(960〜1127年) に入ると武器が登場します。 日本に火薬が伝わったのは、皆が知っている、1543年に種子島のポルトガル人による鉄砲伝来の時です。日本で初めて花火を見た人物とは。。。そう、徳川家康です。1613年に、イギリスの国王ジェームズ1世の使者であり、長崎に商館を作った、ジョン・セーリスにより、駿河国 (静岡県) で披露されました。その時の花火は立花火という、手筒花火の原型です。竹の節を抜いた筒に黒色火薬を詰めて、噴出する様を楽しんだのだそう。 さて、東京で大きな花火大会といえば隅田川花火大会です。そのきっかけとなったのが、享保の大飢饉なのです。1732年 (享保17年)の夏に長雨による冷夏と害

