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江戸小紋の世界 今回は表参道にある、ギャラリー、EYES OF GYREで開催されている、”亜空間として 形成する 伊勢型紙・江戸小紋の世界"  〜廣瀬染工場創業百周年記念〜を訪れました。建築家の長坂常さんと廣瀬染工場4代目の廣瀬雄一さんのコラボレーションされた空間。 まずは、江戸小紋の予備知識から。室町時代後期にもともと武士の礼装である、裃 (かみしも) から発達したもので、その後、参勤交代で江戸に集まる各藩の武士たちが、他所の藩との区別を象徴するために、特定の柄を定めていました。 江戸初期には、大きめの柄もあったそうですが、小紋を武士の公服にしたために、お互い競って細かい柄を求めるようになって、微細な柄が生み出されていったそうです。 小紋は格式が高く、一般庶民の着物の柄ではありませんでしたが、歌舞伎役者たちが好んで取り入れたこともあり、江戸中期から、庶民感覚の柄も登場し始めます。 しかし、その後、奢侈(しゃし)禁止令の発令によって、贅沢品だけでなく大きな柄も禁止され、より細かい柄が求められて、職人たちの技はそんな閉ざされた中で限界への挑戦になりました。遠くから見ると、まるで無地のように見えるほど高度で卓越したものになったのです。 江戸小紋という名称は、昭和30年に小宮康助さんが、重要無形文化財保持者 (人間国宝)に認められた際に、京小紋と区別するために名付けられました。 さて、江戸小紋を染める時に大切な型紙。その伊勢型紙は、柿渋で貼り合わせて燻製と乾燥によって作られた型地紙という紙に、彫刻のように柄を丹念に彫り抜いて作ります。一つ仕上げるのに1カ月以上もかかる、とても忍耐

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花火 東京ではお盆を迎え、夏祭りや花火大会が増えて来て、いよいよ夏本番です。今回は花火大会の歴史について書いてみようと思います。 歴史を振り返ると、火薬が生まれた中国漢代(202〜225年)まで遡ることに。火薬製造の基本となる硝石の発見に始まりそれを利用した狼煙(のろし)が花火のルーツとされています。通信手段として万里の長城で使われ始め、北宋時代(960〜1127年) に入ると武器が登場します。 日本に火薬が伝わったのは、皆が知っている、1543年に種子島のポルトガル人による鉄砲伝来の時です。日本で初めて花火を見た人物とは。。。そう、徳川家康です。1613年に、イギリスの国王ジェームズ1世の使者であり、長崎に商館を作った、ジョン・セーリスにより、駿河国 (静岡県) で披露されました。その時の花火は立花火という、手筒花火の原型です。竹の節を抜いた筒に黒色火薬を詰めて、噴出する様を楽しんだのだそう。 さて、東京で大きな花火大会といえば隅田川花火大会です。そのきっかけとなったのが、享保の大飢饉なのです。1732年 (享保17年)の夏に長雨による冷夏と害虫の被害により、中国、四国、九州地方の西日本各地で凶作に見舞われ、被害は西日本藩のうち46藩にも及んだのだそう。 藩についてはこちらへ。 http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/kinki.html その被害は大きく、12000人もの人々と14000頭の牛や馬が餓死で命を奪われました。当時の8代将軍、徳川吉宗がその夏に、大川端 (隅田川河畔)で催した、川施餓鬼 ( 死者の霊を弔う法会 ) が始

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